社内報冒頭文 No164

皆さんお元気ですか。これを書いている今日、本部のある羽島は春らんまんです。風もなく穏やかな晴天のもと、すぐ近くにある市民の森の桜は今を盛りに咲き誇っています。

 

わたくしごとなのですが、娘が久しぶりにLos Angelesから帰省しています。その娘は高校二年生の時にアメリカに留学して以来、帰省するときは夏休みの事が多く、春に一度も帰ってくる事ができませんでした。今年こそはと、桜を狙って帰ってきたのですが、実に13年ぶりの日本の桜ということで、感動もひとしおのようです。私たちは毎年当たり前のように咲く桜を当たり前のように愛でてきましたが、13年ぶりの桜はさぞ綺麗に感じるでしょうね。

 

親子三人で桜を見に近所を巡ります。桜の名所に行かずとも、身近なところにいくらでも素晴らしい桜の木があることに、改めて気付かされます。高校時代に留学してしまい、日本の文化をあまり知らない娘に、母が語りかけます。「悠生ちゃん、和歌の世界でね、花といえば桜のことなんだよ。昔の和歌の世界は、とても決まり事が多い様式の世界で、花といえば桜、そして、2月に歌を詠むときは、桜はいつになったら咲くのだろうという待ち遠しい気持ちを詠み、3月はなんと桜は綺麗なのだろうと美しさを詠み、4月になったら、ああ、桜が散ってしまうという寂しさを詠むということになっているんだよ。これは古今伝授の一つなんだよ」日本の伝統に疎い娘の隣で、私もなるほどなるほどと聞き入ります。

 

ということで、桜を詠んだ花のうち、有名どころを少しだけ挙げてみましょうか。

ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則・古今和歌集

いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな伊勢大輔・詞花和歌集

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平・古今和歌集

花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町

願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃 西行法師・山家集

 

ここらへんが有名な和歌ベストファイブというところでしょうか。私は和歌はあまり詳しくないのですが、皆さんは他にどんな歌が好きですか。いにしへの…は景気のいい歌ですが、それ以外はやはり桜の花に様々な心情を映した歌が多いようです。 古今和歌集の昔から、日本人は本当に桜が好きなのですね。

 

滝廉太郎の「花」という歌があります。これももちろん桜のことです。隅田川沿いの堤に咲き連なる桜並木を眺めながらの舟下りの情景ですね。

 

春のうららの 隅田川

のぼりくだりの 船人が

櫂(かひ)のしづくも 花と散る

ながめを何に たとふべき

 

見ずやあけぼの 露浴びて

われにもの言ふ 桜木を

見ずや夕ぐれ 手をのべて

われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

 

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に

くるればのぼる おぼろ月

げに一刻も 千金の

ながめを何に たとふべき

 

春うららの隅田川を下ります。のぼったり下ったりする船が行き交い、櫂をかくごとに水しぶきが上がります。その水しぶきが、桜の花びらが水面に浮かぶ花筏と溶け合うようです。この素晴らしい眺めを何に例えたらいいでしょうか。朝霧の中、露をたたえて語りかけてくるような桜を見たことがあるでしょうか。夕暮れの中、優しい風にそよそよと揺られて、まるで手招きしているような青柳を見たことがあるでしょうか。日が暮れると、隅田川の堤沿いに咲き乱れる桜の花の、錦絵のように見事な眺めの上におぼろ月が登ります。ああこの瞬間の、千金にも値する眺めをなんと表現すればいいのでしょうか。

 

こんなふうに現代語に意訳してしまうと、昔の言葉の味わいが消えてしまいます。それ程に昔の日本語は美しく、その日本語の中で花といえば桜なのですね。お直しといえばあーる工房、そんなふうに言われるまでには余程の歳月が必要なようです。