社内報冒頭文No163

皆さんお元気ですか。私の部屋でこれを書いている今、窓越しに暖かい春の日差しが差し込み、ちょっと眠くなります。2日ほど前は北海道で猛烈な吹雪があったばかりで、今日の岐阜羽島も風は冷たいのですが、春はすぐそこまでやってきているようですね。こんな季節、私は早春賦という童謡を思い出します。昔の童謡が好きなのです。昔の童謡は歌詞がとてもきれいですね。ふるさとの詩など、口ずさんでいるとジーンと涙が浮かんできそうなのは歳のせいだけでは無いと思います。本当にしみじみと心にしみ込む詩が童謡には多いと思います。早春賦もちょっと書いてみましょう。

 

春は名のみの 風の寒さや

谷の鶯 歌は思えど   

時にあらずと 声も立てず

時にあらずと 声も立てず


氷融け去り 葦は角ぐむ

さては時ぞと 思うあやにく

今日も昨日も 雪の空

今日も昨日も 雪の空

 

春と聞かねば 知らでありしを

聞けば急かるる 胸の思いを

いかにせよとの この頃か

いかにせよとの この頃か

 

つたない訳ですが・・・

 

春とは名ばかりと思える 風の寒さだなあ

谷のうぐいすも さえずりたいとは思うのだけれど

まだその時ではないと 声も立てないでいる

まだその時ではないと 声も立てないでいる


雪は融けはじめ あしは芽をふきはじめた

さあいよいよかと思うけれど 意地が悪いことに

今日もきのうも 空には雪が舞う

今日もきのうも 空には雪が舞う


春と聞かなければ知らないままでいたのに

聞いてしまえばざわざわと胸がせきたてられ

どうにも我慢ができないこの頃だことか

どうにも我慢ができないこの頃だことか

 

なかなか本格的な春が来ないもどかしい思いを綴っています。長い冬をじっと耐えていたからこそ、春が待ち遠しいのですね。それにしても、昔の童謡は本当に言葉が美しいですね。この早春賦は1913年(大正2年)に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌で、小学校か中学校で習った記憶があります。最近の教科書には載っているのかな。
日本経済も20年の長きにわたって冬の時代が続いていました。さあ、いよいよ景気が良くなるよと声高に歌うさえずりばかり聞こえてくるのですが、歌っているのは本当にうぐいすでしょうか。それともうぐいすもどきの◯◯ノミクスとかいう何者かでしょうか。いずれにしても、冬の間に精一杯のことをしてきた人には、きっと春は近いと思いますが、長い冬の時代を漫然とただ過ごしてきた人たちには、本当の春は遠いかもしれません。本当に大切なものを地道に積み上げてきた人には、きっと春が訪れることでしょう。ただし花粉は来なくてもいいけれど(笑)。