社内報159号冒頭文

いつもの様にここにも載せておこうね。
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皆さん、お元気ですか。秋も本番、忙しい時期に突入していますが、体調に気をつけてくださいね。と、そんなことを書言いながら、のんびりしたことを書きますが、今日はお昼にひじきの煮物を作っていました。野菜多めのレシピで、干ししいたけ、ごぼう、人参、大豆、ほんの少しのとり肉が入ります。ごぼうと人参をささがきにしながら、今月号は何を書こうかなあと、ぼんやり考えていました。


ささがきというのは、これでなかなか難しいもので、力を入れすぎるとグサリと深く切り込んでしまい、かと言って力を抜くとうまく切れてくれないで上滑りしてしまいます。うーん、これも中道だなあと、妙に感心しながらささがきます。


中道とは、仏教の言葉です。似た言葉で中庸というのがありますが、これは儒教の言葉だと思います。怪しげですが(笑)。儒教は社会を渡る処方術であり、道徳を説く学問です。中庸とは、過不足無く、どちらにも偏らない態度なり行いを徳とします。


仏教の言う中道とは、もう少し深い意味があるようです。物事には、常に対立するものがあります。善と悪、極楽と地獄、快楽と苦行、喜びと悲しみ、その対立するもののあり方を深く認識し、そのどちらにもとらわれることのない生き方を生きよというわけです。なるほどささがきも強からず、弱からずというわけです。


余談が過ぎました。少し前に「20周年記念レポート募集のお願い」というメールを送らせていただきました。そのレポートの内容について考えていたのです。


ある仏教関係の「仏教入門」というホームページに、こんな言葉がありました。「仏教の教えは、今ここに生きている事実をふまえて、われわれはいかに生きるべきかということを追求し、明らかにすることであります。 どうやって具体的にそれを実践していけばいいのかというと、仏教では中道を行けと教えています。」


20周年記念レポートの課題は、「ご自身のこれまでのあーる工房での取り組み、現在の有り様を踏まえ、将来のビジョンを語ってください。」というものです。ね、少し似ていますね。


生きがいとはどういうことでしょう。どうすればやりがいを持って仕事をすることができるのでしょう。頑張りや一生懸命はいいけれど、そればかりでは疲れてしまいそうです。それではと手を抜いて生きていると、僕は一体何をやっているんだろうと虚しくなります。怒ってばかりいる人、怒られて不機嫌になっている人、自分が正しいんだと主張が強すぎるとみんな引いてしまうし、逃げてばかりいる人はひんしゅくを買いますね。怠け者の自分がいます。めんどくさがりの自分がいます。責任を取りたくない自分がいます。人前でおどおどしてしまう自分もいるし、お客様に叱られていじけてしまう自分もいます。


けれど、いい仕事がしたいと思う自分もいます。真正面を向いて、すがすがしく歩いて行きたいと思う自分もいるのです。


仕事とどう付き合えばいいのでしょう。どんな職場を作りたいのでしょう。どんな会社になればいいなあと思うのでしょう。どんな自分になりたいと思うのでしょう。


周りを見れば、経済も、政治も、復興も、消費税も、外交も、エネルギー問題も、難しいことばかりです。けれど、そんな中でも夢を忘れること無く生きていきたいのです。


そう、そんな夢を語り合いたいと思うのです。ぜひ一人でも多くの人の応募をお待ちします。詳しいことはメールでご案内していますので、店長さんに見せてもらってください。締め切りは11月末日です。