ちょっと変わっているけれど社是です。

 昔、物が大切だった時代。たとえばアメリカの開柘時代、大きな森の小さな丸太小屋の中で、ローラの母親はどんな小さな布切れだって捨てるなんてしませんでした。パッチワークでつなぎ合わせ小物入れを作ったり、ベッドカバーを作ったりしました。


 日本にだってそうした習慣はちゃんとありました。母さんは夜、囲炉裏端で繕いものをしました。着物が古くなると、つないで蒲団にしました。蒲団が古くなると、座蒲団にしました。座蒲団が古くなると、お手玉にして子供に与えました。


 物が少なかった時代、そうしたことはごく普通のことだったのです。いつの時代だか、どこの国だかで、高度成長時代がありました。大量生産、大量消費が美 徳の時代がありました。パブル経済の時代がありました。物は大量に作り出され、大量に販売されました。人々は大量に買い、大量に使い、大量に捨てました。 物は無限にあるのだから、手間暇かけて直して使うなんてとんでもない無駄な行為だったのです。こうして人々は、物を直して使う習慣を無くしていったのでし た。


 そして今。地球に限られた一定量の資源しかないことを私たちは知っています。自然環境を破壊し続けると、取り返しがつかないことになると私たちは知って います。そんなことは当然のこととして、私たちには分かっているのです。けれど、悲しいことに、物を直してもう一度使おうという習憤が、私たちの中にはあ りません。


 この洋服、ちょっと直すと生き返って、もう一度着られるようになるんだけど、このカカト、貼り直せばもう一度履けるんだけど、このバッグ、ファスナーが 痛んだだけであとは何ともないのに、このカサ、ほねが一本折れただけなのになあと、誰もが思います。けれど自分では直せないし、手軽に直せる場所が身近に ないし、ということで結局は捨てられて新しいものを買ってしまうことになります。


 買いものに行けば楽しいし、新しいものを買えばうれしいし、みんな中流だからお金もそこそこあるし、まっいいかあ、なのです。私たちは何かを立て直さなければなりません。そうでない限り、ライフスタイルは変わりません。そんな思いでいっばいです。


 そして、これから。自分で直そうと思うのは、趣味でやるのならすばらしいけれど、いそがしい現代社会、時間もないし、技術もない。自分の生活する回りにいくつも気軽に直してくれる場所があるといい。


 身に付けるもの全てを直してくれて、洋服を直しに行ったついでにちょっと靴のことを聞いてみる、靴のカカ卜をなおしてもらっている間にお気に入りのバッ グの壊れたところが直るかどうか聞いてみる、そんな所があるといい。みんながそんな習憤になれば、物を作るメーカーも、ただ売ればいい、安ければいいとい う物づくりから、デザインをリフォームしながら長く着られる、愛着の持てる洋服を作るようになるかも知れない。

 

 靴のカカ卜だって、直せないような便い捨ての靴から、直しやすい、長く履ける靴に変わってくるかも知れない。私たちのちょっとした習慣が、ひょっとした ら物づくりのメーカーの姿勢を根本的に変えることになるかも知れない。ひょっとしたら資源を節約し、地球環境を守るという夢が、かなうかも知れない。


 あ一る工房はそんなことを考えている会社です。